およそ不適当な敵意を纏い、子猫は牙をむいてやせ細った四肢をバタつかせる。
足先の鋭い爪が子猫自身を抱えている腕を引っ掻く度に、白い肌に痛々しい赤い筋が走った。
その爪が再度降り下ろされる前に、モルジアナは自分の拳を割り込ませる。
手の甲に白い線ができ、そこからすぐに血が滲みだした。
アラジンは突然の参入者に驚いて大きな目を目一杯に見開き、慌てたように声を上げた。
「モルさん、何やってるんだよ!」
「それはこっちの台詞です!」
モルジアナは負けじと言い返し、キッとアラジンを睨む。
本気で怒っているモルジアナの射るような眼差しに、アラジンは思わず体を竦ませた。
締め付けられた子猫が甲高い悲鳴を上げてアラジンの顔に右足を振り上げる。
アラジンは反射的に顔を背けたが、右頬に新たな3本のひっかき傷ができた。
モルジアナはたまらずアラジンから子猫を取り上げる。
「駄目だよ!モルさんが引っかかれちゃうよ!」
片腕で子猫をしっかと抱え、モルジアナは子猫へと伸ばされたアラジンの腕を掴む。
間近ではっきりと見たその腕の酷い有り様に、モルジアナは自然と眉根が寄った。
ひっかき傷は1つや2つではなく、何かの模様のように腕を覆っている。
アラジンの白い肌が、更にその痛々しさを際立たせていた。
「こんなになって……何をしているんですか」
「ごめん、モルさん。その子お腹が空いてるみたいだったから、牛乳でもあげようかと思ったんだ」
モルジアナは左右に首を振り、掴んだ手首に額を寄せる。
「謝らないでください」
子猫を見捨てられなかったアラジンの優しさも、本能的にアラジンを敵と認識した子猫も、責めている訳ではない。
どちらも責めることなどできない。
「私は、ただ……」
喉の奥から熱いものがこみ上げてきて、モルジアナは奥歯を噛み締めた。
「モルさん……」
アラジンが、俯くモルジアナの頭を優しく撫でる。
モルジアナの腕が、力が抜けるように滑り落ちた。
しばしそうして頭を撫でる手の感触に身を任せていると、ささくれ立っていた気持ちが柔らかくほぐれていくようだった。
やはりこの人の手は不思議な手だ。
モルジアナよりも小さく非力なのに、モルジアナひとりでは手の届かない、大きくて温かいものを与えてくれる。
殺気立ったモルジアナに気圧されていたのか、はたまた空気を読んでいたのか、大人しくなっていた子猫が、小さく鳴いた。
「すごい。モルさんが抱いたら大人しくなっちゃった」
ふふ、と笑ったアラジンに、モルジアナも微笑み返す。
アラジンがモルジアナの腕を引く。
「ねぇ、モルさん。後で貰ってくれる人を探すの、手伝ってくれないかい?」
「勿論構いません。でもその前に、この子にあげる牛乳を探してきます」
「じゃあ僕も――」
「アラジンは傷の手当てが先です」
ぴしゃりとはねのけられ、アラジンは眉を下げた。
「モルさんだって手を引っかかれたじゃないか」
「アラジンの傷に比べたらかすり傷です」
言われて自分の腕を見たアラジンは、その有り様に顔を引きつらせた。
「アリババ君にも怒られそうだなぁ……」
「私は怒ったんじゃありません」
モルジアナは自分の腕の中の子猫に目を落とし、ついでアラジンの傷だらけの腕に目をやる。
怒ったんじゃない。
責めたのでもない。
「悲しかったんです」
自分の鎖を切ってくれた優しいこの腕が、謂われのない敵意で傷付くのが堪らなく悲しかった。
モルジアナはアラジンの腕にそっと触れた。
「痛みますか?」
「ううん、大丈夫だよ。有難う、モルさん。次は気をつけるよ」
「いいえ。今度は私が守ります」
これからも多くの人に差し出し、そしてその人々を助けるだろう、この腕を。
それがちゃんと出来るように。
「守らせて下さい」
モルジアナはそう言って目を閉じる。
腕に抱えた、自分と同じようにアラジンに助けられた小さな温もりがみゃぁと鳴いた。
アラモルというかモルアラ。
(10.11.03)