付き合い始めてから、マックスと過ごす時間が増えた。
連絡を取り合う量も増えた。
付き合っているのだから全くおかしいことではないが、どうも不思議な感じがするのは、まだこの関係に慣れていないせいだろう。

俺は水道の蛇口を捻って水を止め、軽く手を振った。
手から散った水滴がシンクを打つ。
その小さな音でさえ、一人きりの静かな部屋ではやけに大きく聞こえた。

ひとり暮らしにももう慣れたし、ひとりでいるのはむしろ好きな方なのに、マックスと会った後だと妙に人恋しくなってしまう。
この感覚にもまだ慣れない。

食器洗いを終えてリビングに戻った俺は、ローテーブルの上に置いていた新聞を取り上げる。
すると、その下から見覚えのない雑誌が現れた。

「料理本……?」

買った覚えがない。
今やネットを使えばレシピぐらいいくらでも見られるし、元々食事にこだわりがある方でもないので、本を買ってまで色々作ろうという気にはならなかった。
しかし表紙に大きく書かれた煽り文を見て、その疑問もすぐに解決する。

『簡単!ヘルシー!マヨネーズ料理50選』

……何とも分かりやすい。
そう言えば、今日俺が調理中に何か読んでいたな。
これだったのか。
忘れて行っただけだとは思うが、まさか俺に作れという遠回しな主張ではないだろうな。

俺は一応と思い、ケータイを手に取った。
何の連絡もないということは、忘れて行ったことにまだ気づいてないのだろう。

別れてからそう時間は経っていないが、こういうハプニングも悪くはない。






Beautiful Day





次の日、マックスの忘れた雑誌を持って、俺はホビーショップ水原の自動ドアをくぐった。
昔からよく知っている場所ではあるものの、実際にこのドアの向こうへ入ったことはほとんどない。

「いらっしゃいませ」

そう言った気のいい店主は、来客が俺だと分かると目元を和ませた。
その笑い方があいつによく似ている。

俺は小さく頭を下げた。

「久しぶりだな、カイ君。元気そうだね」
「マックスはいるか?」
「ああ、2階にいるよ」

店主はこの場にいない息子の姿を探すように、和ませた双眸を天井に向ける。
その眼差しにすら息子を思いやる気持ちを感じられる。

「邪魔するぞ」

俺は何となく後ろめたくなり、半ば逃げるように奥へ行こうとした。
それを見透かすように店主に呼び止められる。

「一人暮らしにはもう慣れたかい?マックスがよく遊びに行っているようだが迷惑になっていないか?」
「別に。問題ない」
「そうか、なら良かった」

店主はマックスとよく似た微笑を浮かべたまま、じっと俺を見つめてくる。
相変わらずの仲の良さは聞き知っているが、さすがにマックスも自分達の関係は話していないだろうに、全て知っているとでも言いたげな瞳に居心地の悪さを覚える。
優しげな双眸が、逆に無言で俺を責めているように思える。

俺は自分でもよく分からない緊張感に包まれて、話を切り上げることも奥へ引っ込むことも出来ず、ただ店主の視線を受けとめ続けた。
大した迫力もないのに、その視線が痛い。

店主は俺の緊張を読み取ったのか、視線を外し、殊更優しい声音で俺に話しかけた。

「自分勝手な話だが、マックスには悪いことをしたと思っているんだ。あんなに母親を慕っているのに、結局、未だに一緒に暮らさせてやれない。だからというわけじゃないが、あの子には幸せな家庭を持ってもらいたくてね」

心臓が嫌な音を立てた。
これは明らかな牽制だ。
彼は自分達のことを知った上で、遠回しに別れろと言っている。
親の心を思えば分からなくもなかった。

俺は何も言えないまま、けれど睨みつけるように店主を凝視した。

しかしそんな俺を宥めるように、店主は変わらない穏やかな笑顔を俺に向ける。

「でも、全部いらない心配だったようだ。マックスはそんなものより大事なものを見つけているようだから」
「それは……」

すぐには言葉の意味が理解できなかった。

店主は俺に言い聞かせるように言葉を続ける。

「マックスは君といると楽しいようだから、君さえよければこれからも仲良くしてやってくれないか」
「……良いのか、お前は、それで」

驚きで、切れ切れに言葉が出る。
店主は言外に俺達の関係を認めると言っている。
祝福されない覚悟はできていただけに衝撃は大きい。

「あの子が淋しい思いをしなくてすむなら、それだけでいいんだ」

そう言って笑った店主の顔を見られなくて、俺はただ頭を下げた。
熱くなってきた目頭から雫が落ちないよう彼に背を向け、俺はマックスの待つ階上へ向かった。









「一緒に暮らそう」

何の前置きもなくそう切り出した俺に、マックスは驚いたように目を見開いて俺の顔をまじまじと見た。
けれど冗談ではないと分かったのか、何も聞かず頷いてくれた。
その嬉しそうな、少し照れたような笑顔は、やはり彼の父親によく似ていた。









「カイー、今度の日曜日、何か予定ある?」

俺の洗った皿を受け取り、布巾で丁寧に拭きながら、隣に立つマックスが尋ねてきた。

「特に何もないが」

俺は頭の中で週末の予定を思い起こしながら答える。

ここ最近忙しくて構ってやれていなかったから、どこかに連れて行けとでも言うのだろうか。
頭半分低い位置にある顔を見やれば、マックスは少し首を傾げて俺を見上げてきた。

「もうすぐダディの誕生日だから、一緒にお祝いしてくれないかなと思って。うちに呼んじゃだめかナ?」

今やマックスが<うち>と呼ぶのは、ホビーショップ水原でもその母屋でもない。
俺と暮らすこのマンションの1室だ。
それもかれこれ半年以上も前からだ。

「親子水入らずじゃなくていいのか」
「モチロン!ダディもカイがお祝いしてくれたら喜びマス」

顔立ちは似ていないのに、隣のこいつとよく似た笑顔の男の顔が思い浮かべる。
確かに、あいつなら嫌な顔をしないどころか俺を歓迎してくれるだろう。

『あの子が淋しい思いをしなくてすむなら、それだけでいいんだ』

ふいにあいつの言葉を思い出して、俺は食器を洗う手を止めた。
それはあの男の最上の願いであり、俺にした唯一の頼みごとであり、マックスの知らない、俺達2人の間だけの約束だった。

「お前、淋しくはないか?」

唐突な問い掛けに、マックスは皿を拭く手を止めて、不思議そうにぱちぱちと目を瞬かせた。
けれど、すぐに満面の笑みを返してくる。

「ダディとはお店に行けばいつでも会えるから大丈夫だヨ」
「……そうか」

マックスは父親が恋しくないかと問われたものと思ったらしい。

本意は少し違うが、淋しくないならそれでいい。
そう思い、俺は最後のコップをマックスに手渡し、水を止めた。

「それに、カイがいるから淋しくないヨ」

水音の消えた室内で、その声はよく聞こえた。

「そうか」

答えた俺の声に、うん、と頷く声が返る。
その小さな響きに、言葉にしがたい喜びを覚えた。

「日曜日、わざわざ来てもらうより俺達が行った方がいいだろう」
「分かった。ダディにそう伝えとくネ」

カチャリと、マックスが食器かごの中にコップを入れた。

俺は軽く手を振って手に付いた水滴を払う。
水滴はシンクに撥ねて明るい音を立てたが、1人ではない部屋では、その音は響くことなくすぐに消えてしまった。

連載よりもこちらが先に書きあがっていました。
マヨネーズ料理本は、カイに作ってあげようとこっそり勉強中だったという設定。
話に入れられませんでした^^;

(14.11.27)

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